Mr.Gaijinの雑談

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【その5・最終回】弱者が強者に勝つ!-弱者だったキング牧師の戦略

前回は、弱者が強者を勝つためにルールを破るしかないと言いました。

では、弱者は強者を勝つ為に道徳を捨ててよいのか?ルールを守らなくても良いのか?社会道徳のボトムラインを破っても良いのか?
これは人間社会で一番こたえにくい問題の一つです。

歴史を見れはわかりますが、強者は自らルールを作り続けて、自分の地位を守ろうとします。しかし、弱者は強者を倒すあめに、ルールを破るしかありません。
庶民、武士、中下級の官人たちが、各時代の道徳感をもって、行動していたなら、反乱がおこらずに、時代の転換もなかったはずです。

強者が一度ルールを作ってしまえば、そのルールを道徳とします。
弱者がそれを破れば、道徳観がなく、下品に見えます。
どっちが正しいか、これを客観的に評価するのは本当に難しいです。
弱者として、社会の倫理道徳をどう守ればいいか、本当に難し問題になります。

皆さんはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアキング牧師)を知っていると思います。彼はアフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者だった。
リンカーン記念堂の前で行った有名な「I have a dream」(私には夢がある)は世界中に広がり、共感を呼んだ。

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余談ですが、皆さんがあまり知らないのは、キング牧師は女性関係で批判を受けていました。もちろん、それは嘘と反論もありますが、今になって誰も証明できないので、ここでは討論しません。

しかし、彼が公民権運動の一部の指導方法を道徳の視点で見返せば、考えさせられることもあります。
1963年、アフリカ系アメリカ人公民権運動は落ち込んでいました。アメリカのバーミングハム市は公民権運動の代表として取り上げられますが、当時はその町の黒人が保守的で、白人が絶対的に優位に立っていました。黒人は生活の為に工場で働くので、デモ活動もあまりしませんでした。
キング牧師が助手を連れて、その町に行きました。三週間ぐらい宣伝活動しても、デモに参加する人はあまりいなかった、多くて20人ぐらいで、インパクトもなかったです。

ある日、デモをやったら、いつも通り、あまり人がいなかった。気長く待っていたら、午後5時ぐらいになった時、急に千人ぐらいの黒人が来ました!一気にデモ活動が大きくなり、記者たちが写真を撮って、次の日は「キング牧師が来て、デモ活動盛り上げました」的なニュースが新聞に載った。
実は、午後5時、黒人たちが仕事を終え、工場から出てきたタイミングでした。それを新聞の写真で見ると、かなりのインパクトがあった。
キング牧師から見れば、これは絶好の宣伝方法になる。その後、デモは朝でも、昼でもなく、午後5時にして、場所は黒人が集まっている工場の前にした。黒人の労働者が本当にデモに参加したかはどうでもよく、写真に乗っていれば、デモの参加者とみなした。普通に考えれば、これは嘘つきです。でも、キング牧師から見れば、正しいことの為に戦っているので、ここでは道徳をいったん捨てることを選んだ。

同じくバーミングハム市で、キング牧師はさらにインパクトを大きくする為に、青少年たちを巻き込むことにした。キング牧師は当時の有名な黒人DJに根回しして、町の中心公園に大きなショーがあると若者たちに声掛けしてもらった。このアナウンスを見た政府や警察から見れば、キング牧師の目的はとても明白だった。ニューヨークの新聞でも、子供を政治に巻き込むのは正しくないと批判するニュースまで出た。でも、キング牧師からすれば、彼の目的は青少年たちを巻き込むこと、もっと言えば、青少年たちと政府、警察の衝突です。

予想通り、青少年たちが集まった後、警察が秩序を乱れたという理由で600人近くの人を逮捕した。この事件を受けて、次の日、また1000人以上の青少年たちが集まった。ほぼ全員学生なので、政治なんて知ったこっじゃない、授業さえいかなければ良いので、なんでもやる軽い気持ちだった。
警察側では、万が一の暴動を威圧するの為に、放水砲と警察犬などを用意した。それを狙ったキング牧師たちが、青少年を警察の警戒線を攻撃するようにそそのかし、警察と衝突させるようにした。記者たちが大勢集まった時に、青少年たちが攻撃し始めた。ちょうどその時、一匹の警察犬が一人の少年を攻撃した。そのシーンは記者に撮影され、当時の衝突の深刻さを表した有名な写真になった。凶悪な警察犬、冷酷な警察と何にも出来なかった黒人の少年。この写真がニュースに載った後、市民らの政府に対する怒りと少年に対する同情心が噴出した。誰もそのデモがなぜ起きて、その少年が攻撃されたかについて考えてなかった。

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当時の状況を知っている人の説明では、その少年はたた隣で見ていた子で、デモに参加していませんでした。また、写真を念入りに見ればわかるのは、周りで見ている人はあまり関心を示していない、攻撃された少年も急の出来事でショックを受けていた感じ、警察も犬をコントロールしようとしていた。

結果は、キング牧師の勝ちでした。

1964年、アメリカで公民権法が制定され、これにより、建国以来200年近くの間アメリカで施行されてきた法の上における人種差別が終わりを告げることになった。また、公民権運動に対する多大な貢献が評価され、「アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動」を理由にマーティンに対し1964年度のノーベル平和賞が授与されることに決まった。

キング牧師は、偉人として、世界中に知りわたっていますが、ここで紹介した二つの例をどう評価しますか?
当時の社会状況から見れば、200年も続けた人種差別認識が強者で、キング牧師のような活動家は弱者だった。キング牧師はその状況を打破するためにルール、道徳をいったん捨てて、もっと大きいな目標を狙った。

今偉人となっているキング牧師を評価すると、大きな目標の為に道徳を守らなかったと解釈しやすいですが、当時に戻って評価するならどうなるでしょうか?汚い手口を使うやつと言われる可能性が大きいです。

私に言わせれば、自分で判断できない子供たちを煽って、利用したことはやはりよくなかったと思います。

どの時代になっても、弱者と強者の戦いは続きます。どの時代になっても道徳感に絞られて手足が動かないことになります。
道徳観はやはり人によって全然違うことになりますので、一般的な基本倫理道徳以外は、なかなか評価にくいです。

ここまで書いて、はっきりしたオチがなく、すみません...

終了。

 

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